チェレンの幼なじみ、兼新しく恋人になった彼女は、あの日に決定的に変わってしまった。



「……トウコ」
 隣に立つ恋人の名前を呼ぶ。だが、返事が無い。その瞳は波止場の先、遠く広がる海を眺めたまま。ヒウンシティの海は、二人の故郷の海よりも色が濃い。
「トウコ」
「何?」
 少し強めの口調で呼ぶと、彼女はようやくチェレンを見た。
「……何か怒ってる?」
「いや」
 トウコはチェレンの様子を見て、少し不安そうに尋ねた。また眉間に皺を寄せてしまっているのかもしれない。付き合いはじめの頃、トウコはそのことを随分気にしていた。私と会ってるのに、そんな顔しないの。そう言って、はにかんだように笑った。
「何でもない」
 そんなことを言うなら、トウコだって時折ずっと遠くを見ていることがある。さっきみたいに。隣にいる自分なんか見えていないみたいに。
 チェレンはトウコを本当に幼いときから知っている。トウコがそんな風になってしまったきっかけを、知らないわけがない。



「……私ね、トウコからその話聞いたとき、すごくうれしかったの」
 チェレンがベルにトウコと付き合いはじめたことを報告したのは、トウコがすぐさまベルに報告して、そのまま三人の親に伝わって、アララギ親子にまで伝わって、いつのまにやらカノコタウン全体がお祝いムードになっていて随分恥ずかしい思いをして、少し落ち着いたころのことだった。
「でもね、私、きっと大変だろうなって思ったの」
「何が?」
「チェレンがよ」
 ベルはチェレンをまっすぐ見つめて言った。
「トウコには忘れられないひとがいることはわかってるんでしょう?私は結局又聞きでしか知らないし、そのひとにあまり良い印象はないし」
 チェレンはうなずいた。チェレンだって、あの青年に対して良い印象なんてない。世界を壊そうとした、悪しき軍団の王。
「でもね、あの時からトウコ、すごくきれいになった」
 チェレンはそれを聞いて驚いた。ベルがそんなことを言うなんて想像もしていなかったからだ。そういえば、ヤーコンはトウコは貫禄がついたとかよくわからないことを言っていたと思い出した。
「そう思わない?あんまり感じないか」
 だめよ、女の子のことはちゃんと見てあげないと。ベルはいたずらっぽく笑って続けた。
「だからね、私は、あのことは、あのひとと会ったことは、トウコにとって良かったと思ってるのよ。だから、」
 受け止めてあげてね。難しいけど、チェレンならきっとできるわ。
 普段はぼんやりしているけれど、芯はびっくりするほどしっかりしている幼なじみに、チェレンは小さくありがとう、と言った。



「チェレン!すっごく大きな船だよ!」
 波止場には、ロイヤルイッシュ号の他に、見たことのない客船がとまっていた。
「これは、クチバシティから来た船ですよ」
 船の前に立っていたお姉さんがトウコと話していた。
「クチバシティ?」
「海の向こう、カントー地方にある港町ですよ。明日の早朝、出港なんです」
「……カントー地方」
 トウコの目がまたふっと遠くなった。チェレンは黙って、トウコを見ていた。
 数瞬の後、トウコは急に目覚めたように顔をあげ、チェレンと目が合った。
「ごめん」
 トウコはつぶやくように言った。少し口の端がゆがんでいる。無意識なのだろう。
「何で謝んの」
 そんな顔をさせたいわけではないのに。
 チェレンはぽん、ぽんとトウコの頭を撫でた。トウコがほっと息を吐いたのを見て、ほっとしたのはこっちだ、と思った。
 あの日に、チェレンの大切な大切な幼なじみは、決定的に変わってしまった。ベルはこれで良いのだと言うし、トウコのことは変わらず好きだ。でも、
「……弱いな、僕は」
「何か言った?」
「いや、何も」
 トウコはまた少しだけ不安そうな顔をして小さく「うそつき」と言ったけれど、チェレンは聞こえないふりをした。






2010/10/3




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