少年の体からは生傷が絶えなかった。
 彼の元に連れてこられるポケモンたちは皆人間不信に陥っており、初対面の彼に激しく抵抗したからだ。
「いてて……」
「大丈夫ですか? N様」
「大丈夫、心配しないで、アイ」
 少年にアイ、と呼ばれた紅色の髪をした女性は、それでも心配そうにしていた。彼女が今手当をしている少年の右腕には3本赤い筋が走って、血がにじんでいた。この傷をつけた張本人――人ではないが――のチラーミィは、部屋の隅のおもちゃ箱の中にいて出てこない。チラーミィの方も既にアイが治療したが、チラーミィは少年以外の人間がいる時は姿を現さないのだ。このチラーミィがここに連れてこられてから、3日が経とうとしていた。
 がたがたというひどい物音を聞きつけて、アイと世話係の団員が駆け付けた時にはチラーミィは既におもちゃ箱の中に隠れてしまっていたけれど、少年は「先にチラーミィを手当してあげて」と言った。
(なんて、なんてお優しい方なのだろう)
 アイは彼と触れあうたび、このまだ幼い少年に深い憧憬の念を覚えるのだった。
「ねぇ、アイ。アイはこうしてポケモンも人間も治せる力を持っているんだね。これはすごいことだ。本当に」
 するすると手慣れた様子で包帯を巻いていく様子を見て、少年は感嘆した。
「光栄ですわ、N様」
「どこでこういう技術を覚えたの?」
「……私は、プラズマ団に入る前は、ナースをしておりましたの。ナースとして医術を学び、在野にてバトルで傷ついたポケモンの治療をしておりました。私はチャンピオンロードに近い場所におりましたので、それはたくさんの強いトレーナーとそのポケモンたちと出会いましたわ」
「……そう。ポケモンたちは、どうだった?」
「……皆一様に、バトルでひどく傷ついていて……私は彼らを治すべきかどうか、迷いました。傷が治れば、きっと彼らのトレーナーはまた彼らを戦いの場に出すのですから。傷ついたポケモンを治したくてナースになったけれど、私にはそれが正しいことなのか、わからなくなってしまったのです」
 見ると、少年はひどく哀しそうな顔をしていた。ポケモンたちのことを想っているのだろう。
(なんて、素晴らしい方なのだろう)
「アイは、優しいね」
「いいえ、N様のお優しさには私など到底及びません。……その後私はゲーチス様に出会い、プラズマ団の思想に感銘を受けて入団したのですわ。今思えば、ナースになって良かったと思います。こうして、N様のお役に少しでも立てるのですから」
「少しじゃないよ。たくさん、助けてもらってる。……ありがとう」
 少年はにっこりと笑った。少年がこうして無防備に微笑むのはめずらしいことだ。
 生まれた時からこの部屋で、世界の王となるべく下界との接点をなるべく断って育てられた彼。
(この方こそ、世界の王にふさわしい!)
「僕も、アイみたいに治療の技術を学ぼうかな」
「……いいえ、N様。N様には必要ありません」
 アイは静かに少年に告げた。
「N様はその存在だけで、ポケモンたちを癒すことができるのです。その存在によって、ポケモンたちは安らぐ……。N様は王となるための勉強に集中なさってください。治療が必要な時は、いつでも私共が参りますわ」
「ありがとう。でも、手ほどきくらいは覚えておきたいな」
 少年はいたずらっぽく笑った。知識欲が旺盛で、賢く、優しい、我らが王。
(……私達が、N様を守らなければ。そして、必ず王にしなければならない)
 アイは彼を見てより一層その想いを強くした。
 ――少年の横顔にほんの少しだけ寂しさとも哀しさともつかないものが浮かんだことに、彼女は気付かなかった。




2010/10/22




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