私は、彼の夢を奪ってしまったのだ。 ”あの時”から2年が経った。 アデクが引退して、代わりにチェレンがポケモンリーグのチャンピオンを務めている。実は先にトウコに話がきたのだが、トウコはどうしても受ける気になれなかった。それを察したチェレンが、自分が代わりに、と言ってくれたのだ。 ベルはなんだかアーティと良い雰囲気で、その噂は田舎のカノコタウンにまで届いていてベルのお父さんは気が気ではないらしい。 トウコは、相変わらず旅を続けていた。 幼なじみ達が次第に腰を落ち着けはじめているのに、トウコは未だ各地を放浪していた。 現チャンピオンよりも強いらしい、最強のトレーナーと名高い彼女……ふらりと現れてはポケモン勝負をし、またふらりと去っていく。神出鬼没の彼女の名は、ポケモントレーナーの間では有名だ。 トウコ本人も、このままではいけないと薄々気付いていた。たまに帰る実家では母親が優しく出迎えてくれるけれど、心の中ではすごく心配してくれているのを知っている。 それでも、彼女にはどうすることもできなかった。旅をして、自分の大好きなポケモン達と過ごす時間が一番落ち着くのだ。 どうしてこんな気持ちになるのか、トウコはその理由も薄々気付いていた。 その日は、突然訪れた。 「トウコ」 急に背後から声をかけられた瞬間、トウコの身体は固まった。その声が、もう二度と聞けないと思っていた、なのに耳の奥にこびりついて離れない、懐かしい声だったから。 トウコは振り返ることができなかった。目から涙があふれでそうになる前に、トウコは全力で駆けだした。 「トウコ!?」 彼が驚いたような声をあげて、追いかけてくるのを背で感じた。 どうしても、彼と顔を合わせたくなかった。合わせる顔など無いと思った。 「レシラム!」 腰のモンスターボールからぼわりと白い巨体が現れた。その背に飛び乗る。 「レシラム、飛んで!」 ふわりと舞い上がったレシラムは、トウコの指示に従って猛スピードで飛び立った。 「ゼクロム!」 背後から声が聞こえた。片割れの登場に、レシラムが迷うように背に乗ったトウコを見やる。 「ごめん、レシラム。飛んで」 絞り出した声はかすれていて惨めだった。ますます彼に会いたくなくなった。 レシラムは風を切りながら飛んでいく。涙で濡れた頬に当たる風は痛いくらいだった。 しかし上空でのチェイスは長くは続かなかった。迷いを残したまま、主を気遣いながら飛んでいたレシラムに、ゼクロムはすぐに追いついた。ばりばりと目の前に雷が落ちて、レシラムの行く先を遮った。 「トウコ! 何で逃げるの!?」 トウコは右手でぐいと目を拭った。レシラムが心配そうに、申し訳なさそうにしているのを感じて、トウコは大丈夫よ、とレシラムの背を撫でた。 息をひとつ吐いて、ごくりと唾を飲み込んだ。 「……私は、あなたには会わない」 「どうして?」 彼がすぐそばにいる。声を聞くだけで体が震えた。 でも、決めたことだから。 「私は、あなたの夢を奪ってしまったから」 あの時は幼すぎて気付けなかった。しばらく経って、ようやく気付けた。 「あなたは私に夢を叶えろと言ったけど、あなたの夢を奪っておいて、自分の夢だけ叶えるなんて、私にはできない」 それに、と続けようとして、トウコははっとして口をつぐんだ。私の夢は、あなたがいなきゃ叶わない、なんて。 「……確かに、僕の夢はあの日壊れた」 彼はひどく静かに告げた。 「でもね、トウコ。君が僕の夢を奪ったというのは違う。僕はあの日、夢から覚めたんだ。長い長い夢から。ぬるま湯のような心地よい、だけれどどこかおかしい夢から。 あの時まで、僕はこの現実こそが悪夢だと思ってきた。でも、ゼクロムとたくさんの場所を見てきて、それは違うと気付けた。全部君のおかげなんだよ。 だから、顔を見せてよ、トウコ。お礼が言いたくて、僕は帰ってきたんだ」 ゼクロムがゆっくりと下降し始めたのに合わせて、レシラムも下降し始めた。レシラムの背で、トウコは泣きじゃくっていた。 二匹がすとんと地面に降り立つ。レシラムの背から動けずにいるトウコの手を彼が引いた。その手はそのまま、トウコの頭を撫でる。トウコはまだ顔をあげられなかった。 「……許して、くれるの?」 「許すも何も、最初から怒ってなんかいないよ」 彼が呆れたように笑うのを感じて、トウコはつられるように顔をあげた。 彼の黒い瞳が、まっすぐトウコを見ていた。 「ありがとう」 「…………Nっ…!」 きっと自分の顔は涙でぐちゃぐちゃになっているだろう。トウコは顔を隠したかったが、Nはトウコの頬を両手で挟んで、瞳を逸らさせてくれない。 そして、Nはふわりと笑った。失ってしまったあの日々に、彼がポケモン達に向けていたあの笑顔だった。自分には向けられることはないと思っていた、あの笑顔だった。 「きれいになったね、トウコ」 そしてNはトウコにくちづけた。 2010/11/15 N主♀の日と聞いて。難産でした。 back |