「何してんだい、こんなとこで」
「……アロエねえさん」
 シッポウシティの倉庫のひとつ、いつも創作に行き詰るとやってくる場所で、アーティは筆を持つこともなくただ寝ころんでいた。
 それを見てアロエは、何かおかしい、と思った。いつもなら傍らに真っ白なカンバスが鎮座していて、その前で絵具をぐちゃぐちゃとかき混ぜながら何もせずにいたからだ。
「何か急ぎで仕上げなきゃいけない絵でもあったっけねぇ」
「いや、無いよ」
 個展はこの間終わったばっかりだ。そう言いながら、アーティは体を起こした。
「じゃあ、何しに来たんだい?」
「……ちょっと頭を整理したくて。あと、ここにいればアロエねえさんが会いに来てくれるかなって」
「あたしを何だと思ってるんだい」
 アロエは苦笑いしながら、少しだけほっとした気分になった。昔から少し浮世離れした雰囲気を持つ弟分を、アロエはずっと心の片隅で気にかけていた。こうして頼ってくれるのは嬉しいし、頼れる人がいるならば彼は大丈夫だ。
 アロエはアーティの隣に腰掛け、持参した水筒から紅茶を注いだ。
「ほら、この間サンヨウの坊主たちがくれた葉だからきっとおいしいよ。クッキーもつくってきたから」
「ありがと、ねえさん」
 アーティはコップを両手で持って、静かに紅茶を飲み始めた。こういう様子を見ると、彼が実年齢よりずっと幼く見える。
「で、どうしたんだい?」
「うん、ボクさ、すきなひとができたみたいなんだ」
 アロエは目を見開いた。
「……あんたからそんな話を聞くことになろうとはね」
「どういう意味? それ」
 アーティは微笑した。その表情がかつてに比べて随分やわらかくなった、とアロエは思った。アーティはその容姿からか、以前は浮いた噂がたくさんあったけれど、どれもこれもどうしようもないものばかりだった。そんな噂も、ここ最近は耳にしない。
「カミツレちゃんに振られた頃からは想像もできないってことさ」
「やめてよ、そんな昔の話」
 散々だったなぁ、あの時は。アーティは懐かしそうに笑う。一方的に告白されて、一方的に振られて、しかもフウロさんのビンタ付きだった。
「で、何をそんなに悩んでるんだい? 相手にもう恋人がいる?」
「んう、そういうのじゃないんだけどさぁ……」
「じゃあなんだい、まさかびびって告白できないなんて言うんじゃないだろうね?」
「もう、ひどいなぁ、ねえさん」
 アーティは膝を抱きかかえるようにして、俯いた。
「年下なんだよ、その子」
「なんだ、そんなことかい。いくつ?」
「……10歳くらい、かな?」
 アロエは少しだけひるんだ。なるほど、そういうことか。
「トウコちゃんかい? ベルちゃんかい?」
「さすがアロエねえさん、鋭いな」
 アーティは苦笑した。
「トウコちゃんはカミツレちゃんに似てお前の苦手そうなタイプだから、ベルちゃんかな」
「……あたり。アロエねえさんに隠し事はできないね」
 アーティはクッキーに手を伸ばして、一口齧った。小動物みたいなその仕草も変わらない。自分の才能と、周囲の反応に、押しつぶされそうになっていた幼かったあの頃と。
「で、何をそんなに悩んでるんだい。年の差かい?」
「うーん……まぁ確かに年の差は気になるよ。手出したら犯罪だし」
「そうだね。あと4、5年待ちな」
 ばっさりとしたアロエの物言いに、アーティは苦笑する。
「うん」
「なんだいあんた、そんなくだらないことで悩んでたのかい?」
「いや、ボクと彼女の年の差はわりとどうでもいいんだけど……」
「じゃあ、何」
「……ボクが、彼女を独占してもいいのかなって」
「はぁ?」
「彼女はボクが誘えば会ってくれるけれど、それで彼女の時間を奪ってしまうのは良いことなのかなって。彼女はまだ幼くて、これから見るべきものもやるべきものもたくさんあるはずなのに、それをボクのわがままで奪っていいのかなって。待ってあげるのが、大人なんじゃないかなって、思って」
 アーティは至極真面目な顔でそう言った。だがそれを聞いたアロエはすっかり呆れてしまっていた。
「……まったく、ちょっと成長したかと思えば、これかい」
「んー?」
「アーティ、あんたねぇ、ちょっとまともになって、ジムリーダー任されたからって、調子乗ってんじゃないよ」
「へっ」
「何が待ってあげるだ。そんなんあんたに決められなくても、あの子は自分で選んでいけるさ。年が上だからって理由で、何であんたが全部決めることになるんだい?」
 アロエは強い口調で諭した。アーティはアロエを見据えて、黙って聞いている。
「気を使うところを間違えちゃいけないよ。あんたが考えなきゃいけないのは、あの子があんたと会ってる間、どうすれば気持ちよく過ごしてくれるか、だろう?」
「……うん」
 こくり、とひとつうなずいたアーティの頭をアロエは撫でた。
「さすがアロエねえさん。年季の入り方が違うね」
「ん? どういう意味だい?」
 アロエが頭を撫でた手でわしゃわしゃと髪をかき混ぜると、アーティはくすぐったそうに笑った。
「ほら、こんな話はあたしにするんじゃなくて、あの子とする話だろう?」
「ふふ……そうだね」
 アーティは立ちあがり、ズボンに落ちたクッキーのかすを手で払う。
「ヒウンに戻るよ。ジムに挑戦者が来てたら申し訳ないし」
「はいはい。まぁ、また時間ができたら来るといいさ」
「ありがと、アロエねえさん」
 階段を下りていくアーティの後姿は、もうかつての幼い姿ではなく、がっしりした男性の背中になっている。
「……まったく、世話の焼ける子だね」
 その後ろ姿を見ながら、アロエはアーティに聞こえないよう呟いた。





2011/1/16



タイトル配布元→約30の嘘




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