「うぐっ……ひっく、ごめんなさい、私、泣いてばっかりで…………」
「気にしないの。落ち着いたら、何があったか話して頂戴」
 アロエがヤグルマの森でうずくまっているベルを発見して、シッポウシティまで連れてきたのはつい先ほどのことだ。カフェ・ソーコに着いても、ベルはずっと震えて泣いていた。こりゃあ迷子を保護してきたみたいだ。アロエは内心溜め息を吐く。彼女が泣いている原因に、少しばかり心当たりがあるからだ。
 サイコソーダの泡がしゅわしゅわとはじけた。ベルがぎゅっと握りしめたまま口を付けていないそれは、もう大分炭酸が抜けてしまっただろう。
「落ち着いてきたかい?」
「はい……ご迷惑、おかけしました」
「そりゃ良かった。最初あんたを見つけた時は、てっきり気分でも悪いのかと思ったからね」
「すみません……サイコソーダも、いただいて」
「いいのいいの。何にもないならそれで良し」
 ベルはサイコソーダを一口飲んだ。それを見て、アロエはほっとした。
「で、なんであんなとこで泣いてたんだい? 話たくないなら別にいいけど、相談ならいくらでも乗るよ」
 あんたよりあたしは随分長く生きてるからね。アロエがウィンクすると、ベルはほのかに笑った。全く、こんなかわいい子泣かしてんじゃないよ。アロエは心の中でこっそり、隣町に住む弟分を毒づく。
「……その、今日、アーティさんとヒウンシティの波止場に行ってて」
 ベルはおずおずと話しだした。彼女の口から出た名前に、アロエはやっぱり、と顔には出さず少しだけ呆れた。
「私が海が見たいってわがまま言って……ヒウンの海は、カノコの海と色が違うから」
「で?」
「そしたら、カミツレさんに会って……」
「カミツレちゃんに?」
 予想外の名前に、アロエは驚いた。
「モデルのお仕事だったみたいで……。カミツレさん私たちに気付いて、声かけてくださったんです。元気にしてる? って。私、すごく嬉しくて……」
「……それで、あんたは何で泣いてるんだい?」
 ベルは唇を噛みしめた。また大きな瞳に涙があふれていく。
「カ、カミツレさんに、ちょっとこっち来てって言われて、そしたら耳打ちされて……」
「何て?」
「『あの男はやめときなさい』って」
 それを聞いて、アロエは思わず噴き出してしまった。
「アロエさん……? 私、何かおかしいこと言いましたか?」
「いや、ごめんごめん。続けて?」
「その……アーティさんはあんなに素敵な方で、何で私なんかに構ってくださるのかわからなくて、でもカミツレさんにはアーティさんに会うのはやめろって言われて……もしかして」
「もしかして?」
「カミツレさんとアーティさんは、おっ、お付き合いしていて、それでカミツレさん私にアーティさんに近づくなって……」
 再びアロエは噴き出してしまった。感情が高ぶっているのか、ベルはそんなアロエの様子には構わず涙をこぼしながら話し続けた。
「わ、私、アーティさんが優しくしてくださるからって調子乗って、ふ、二人の邪魔して、これでカミツレさんに嫌われちゃったらどうしようって思ったら、哀しくなって……」
「そこカミツレちゃんに嫌われたら、なのね。アーティじゃなくて」
 こりゃあんた、前途多難そうだよ。アロエは心の中で橋の向こうの弟分に語りかける。あんた、カミツレちゃんに負けてるよ。
「カミツレさんとアーティさんなら、モデルさんと画家さんで、すごくお似合いで、私なんかより全然お似合いで、邪魔したくなくて……」
「まぁ、大体話はわかったよ」
 アロエは涙で濡れたベルの目を優しくハンカチで拭って、頭を撫でた。少しずつ、震えていたベルの体が落ち着いていく。
「あんたはいくつか勘違いしてるみたいだから、そこから話していこうかね」
「勘違い……?」
「あぁ。まず、アーティとカミツレちゃんは付き合ってなんかいないさ」
「……本当ですか?」
「昔、あいつらがあんたくらいの小僧と小娘だった時に、少しだけ付き合ってたことはあるけどね」
「じゃあっ……!」
「まぁまぁ、あたしの話を聞いて、な?」
 諭すようなアロエの声に、ベルはおずおずとうなずく。
「あいつらが付き合いだしたのは、フウロちゃんに男ができて、拗ねたカミツレちゃんが、何であんなのを選んだのか、アーティに告白して、アーティは適当に二つ返事でオッケーしたんだ。だけどアーティはあの通りの甲斐性無しで、今は随分ましになったけど昔はそりゃあひどくて、カミツレちゃんは1週間もしないうちに愛想つかしちゃったのさ」
 ついでに言うと、実はフウロちゃんが男つくった理由がカミツレちゃんに最近会えなくて構ってほしいからで、カミツレちゃんがアーティと付き合いだしたと聞くや否や、怒ってアーティのところに来て、カミツレちゃんと別れろってせまって一発ビンタもかましたんだと。アロエは笑いながら続けた。
「まったくひどい話だろう? まぁだからさ、カミツレちゃんはアーティがどんだけ駄目男か知ってんのさ。だからあんたに警告したんだよ。あんたのことが心配で」
「……アーティさんって、そんなに駄目な人なんですか?」
「昔はね。あの容姿で基本来るもの拒まずだから、数年前までは浮いた噂がこんな田舎にまで流れてきたもんさ」
「……やっぱり、アーティさんは皆に優しいんですよね。私、うぬぼれすぎてました……」
 苦笑しながら俯くベルを見て、アロエは慌てて話を続けた。
「いや、それは昔の話だからね。今は随分ましになったよ……。それに昔からアーティは来る人は拒まないけど、自分から積極的に働きかけることはしなかったよ。でもあんたはアーティに誘われたりしてるんだろう?」
「モデルになって、とか、デッサンしたいから一緒についてきて、とは良く言われますけど……」
 世間ではそれをデートと言うんだよ、とアロエは言いたかったが、ぐっとこらえた。
「それはアーティにしちゃめずらしいことなんだよ! もっと自信持ちな」
「そうでしょうか……」
「そうだよ!」
「カミツレさんの、ご迷惑になっていないでしょうか……」
「ない、ない」
「アーティさんのご迷惑には……」
「それは絶対にない」
 アロエが断言すると、ベルは安心したように微笑んだ。
 本当に、こんなかわいい子をいつまで不安にさせておくんだか。アロエは心の中でアーティに盛大に悪態をついた。
 カランカラン、と涼しげな音が店内に響いた。ドアについた鐘の音だ。
 現れたのは、アーティだった。
「遅い!」
 アロエは振り向いて開口一番そう言い放った。
「へっ? えっと……」
 アーティは走ってきたのか息があがっていて、ゆるやかにウェーブしている髪もぼさぼさだった。
「アーティさん……?」
「あたしがさっき連絡しといたんだよ」
「あっ、そっか。私何も言わずに走ってここまで来ちゃって……!」
 アーティは息を整えると、二人に歩み寄った。
「何だかよくわからないけど、ありがとう、アロエねえさん」
「あたしへの礼はあるから、あんたこの子に言うことあるだろ」
 アロエはベルの体をずいと前に押し出す。
「ちょ、アロエさん!」
「ベル」
「あっ、はいっ!」
「もしボクが君の嫌がるようなことを言ったのだとしたら、ごめんね」
「えっ、いえ、アーティさんは何も悪くないんです! 私が勝手に勘違いしただけだから……」
 アーティは俯くベルの肩に手をかけようとして、思いとどまって手をひっこめた。それを見て、アロエは盛大に溜め息を吐く。
「その……じゃあ、もし良かったら、もう一度一緒に海を眺めに行かない? さっきは、ゆっくり眺めてる暇もなかったから」
「……いいんですか? 私が勝手にいなくなったのに……」
「うん」
 アーティが微笑むと、ベルもつられるように顔をあげて微笑んだ。
「一件落着かい?」
「うん。ありがとう、アロエねえさん。お邪魔しました」
「えっと……アロエさん、迷惑かけてごめんなさい。ありがとうございました」
 最後に深々とお辞儀をして、ベルはアーティと共に店を後にした。
「……まったく、世話の焼けることだね」
「あの子、アーティさんの彼女さんですか?」
 苦笑しながら呟いたアロエに、メイドが声をかけた。
「あ、盗み聞きしてたみたいで申し訳ないんですけど」
「いんや、いいさ。ただ、あんまり言いふらさないでおくれね」
「もちろんですよ。で、彼女さんなんですか?」
「違うよ。あのばかが臆病なおかげでね」
「……アロエさん、何だかお母さんみたいですね」
 微笑するアロエを見て、メイドは言った。
「そりゃ、世話は焼けるけどかわいい子だからね」
「女の子の方がですか?」
「いんや」
 アロエは幸せそうに笑った。
「二人ともだよ」





2011/1/21





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